「……多分、初対面だと思いますが、私が何か?」
いきなり、クライアントさんに切り出される事は実は、少なくありません。
「いえ、あなたをではなく。私を捨てた彼を。」
「リーディングは致しますが、呪術は営業項目には入っておりません、悪しからず。」
「あ、勿論そうです、リーディングしてみてください。恨んで良いかどうか。」
「お客様、僭越ですが100人の人間が居れば、100の正義がございます。人は皆、自分が正しい。それはアイデンティティーでもありますから、当然です。その正義を判断する為に法はあります。私はNPOを率いていますし、公序に反するリーディングは致しませんが、宜しいですね?」
一応、確認しておきませんと、話って尾ひれが付きやすいので…
「??…はい。とにかくリーディングしてください。恨んで良いかどうか。」
「………」
正直申しますと、私は人を恨むのは自分の意志なのでどうぞどうぞ。です。
もちろん、人を恨まば穴二つ、とは申しますが、穴に嵌まるくらいで積年の想いが晴らされるならば、フィフティフィフティ、じゃないかと思います。
恨んだらいかん、恨んだらいかん、と思っていたら恨んでいないか、と言ったら意識は恨みに向いているわけですから。
もともと、呪術というものは古来、絶対的な権力者に向けられたものでした。
下々の者は、どんなに酷い残酷な仕打ちを権力者から受けても、泣き寝入りしかありませんでした。
そんな民衆の、たったひとつの反抗の手段が、呪詛呪術だったわけです。
それは侮れない事ではありますが、しかし、怖がる対象でもないかとも思います。
多分、恨まれる人はそういう人で、何処でも罪悪感なく、同じようなことをするわけです。
自分は自分の正義を貫き、正しいわけで自己評価は善人です。
法的には問題はないから、でしょう。
例えばつよく恨む、というのもひとつの呪術です。
それは気付かない間に自分のエネルギーを蝕み、ネガティブを引き寄せたりします。
そうなんです、そうして自分の体を恨みのヨリシロにして、相手にネガティブエネルギーを送る、という事になるわけです。
明確な、エネルギーの法則性。
だから、わたしは申します。
「どんどん恨んじゃって良いと思いますよ、自分にも来ますが相手にも少しは行きますからね。たくさんの人に恨まれれば、相手の周囲の、負のエネルギーが増えていくでしょう。それが因果応報という事だと、わたしは理解しています。」
タロットリーディングでは恨みは晴らせませんが、その心の原点を確かめる事は出来ます。
大切な日々を出来れば、ポジティブに。
そう思ってクライアントさんをお迎えしています。