コンベンションの「マレビト」

「マレビト伝説」というものが全国各地、大抵の場合の場所設定は寒村になりますが、そのような地域に存在する伝説です。
「客人」と書いて「マレビト」と読みます。
マレビトは、文字通りに客人として地域コミュニティに現れる。
村人たちは、出来る限りの接待をする。
マレビトが男性の場合は、村の乙女を夜に向かわせたりもする。
様々な接待を受けてぐっすり眠った男性のマレビトは、そこで村人に命と金品を奪われて、村人に豊かさを与えた神として葬られる。
しかし、マレビトが女性であった場合。
山里であれば、女性のマレビトは山からの神として
扱われ、村の美しい若者が接待をし、翌朝には去って頂く。
この場合、その年の稲穂や作物の実りは良い。
しかしながら、山里ではないコミュニティに女性のマレビトが訪れた場合。
それはマレビトではあるが、祟り神となる。
祟りや障りがないように、村人たちは丁寧に接待し、翌朝、村の境まで長老が見送る。
境をマレビトが越えたら、小枝を折って投げる。
それでもう、そのマレビトは来なくなる。
厄災は去っていく。

先日のコンベンションの日に、タロットリーディングを依頼したクライアントさんがいました。
受付は四人体制で、予約者をしっかりチェックしていました。
それなのに、一人だけ無記名で申し込みされている方がいる。
そんなはずはない、無記名で受付出来るシステムではないのに、無記名が一人。

そのクライアントさんが本当に来るか、受付さんたちは待っていたのですが、ちょうど予約の時間帯がバタバタしてしまい、だれもチェック出来ず。
しかし、定刻に無記名の予約者さんは現れて、タロットリーディングを受けて帰っていきました。
担当したヒーラーさんの話だと、ちょっと顔色が悪い、声が小さい女性だったとか。
でも、なにをリーディングしたのか、本当にすっかり忘れてしまい、なにも思い出せない。
たぶん、見料も頂かなかったかも…

女性のマレビトか。
マレビトだとしたら、エネルギーワークでは対処出来ない存在。
もてなし=お食事の提供、が必須となります。

コンベンションが終わり、打ち上げの場で
何故か誰もいない席にスタッフさんが食事を置く。
やはり、マレビトか。
付いてきたわけだ、それなら食事を供してお帰り頂きましょう。
そして、打ち上げは終わり解散し、とりあえず今日まで問題はなく、マレビトはどこかに帰って行ったようです。

以前、NPOの鎌倉散策ワークショップでマレビトが合流したようで、
いくら数えても参加人員と、お昼のお膳の数が合わない、
でも頭数とお膳の数は合っている。
お一人お一人、お顔を拝見しても、全ての参加者さんを知っているわけではないから、わからない。
でも、食事が済んで次の目的地に着いた時には、頭数は一人、減っていました。
だれが減ったのか、誰も解らず。
でも、お食事をちゃんと召し上がったようなので、エネルギー酔いした参加者さんは続出しましたが、幸いに障りは無く済みました。

何かの集まりがあった時、
見知らぬ顔ではないけれど、さて、誰だかど忘れして思い出せない。
だれかが居たように思うけれど、気のせいなのかはっきりしない。
マレビトは、寒村コミュニティの伝説ではありますが、寒村にしか出ないわけではありません。
人が集まれば、そこにはマレビトが訪れる可能性があります。

その集まりでの、
あなたの隣の方は確かに、お知り合いですか?
わからなくなってしまった場合は、
おもてなしをして、お見送りしましょう。
出来れば、小枝を折って。
マレビトでしたら、不躾は出来ませんから……

コンベンションへのご参加、ありがとうございました。

27日(土)、NPO主催のヒーリングコンベンションを行いました。
記録的な激寒の中でしたが、お陰様で多数の方々のご入場を頂きました。
心から感謝申し上げます。


パティシエヒーラー&理事の堀先生と。
当日は、メイキャップアーティストのメンバーさんがメイクを施してくださいました。
いつもはほとんど、化粧していないので、大変緊張してしまいました。
(鶴見さんが化粧している!と、驚いている方がたくさん、おいでになりました。)
衣装もスタッフさんの手作り。
袈裟をイメージして、作ってくださいました。



基調講演。
これはすみません、完全に時間が足りませんでした。
もっとゆっくり時間を取って再演して欲しい、というご要望を多数、頂きました。
これに関しましては、具体化出来ますよう、速やかに調整したく思っております。
よろしくお願い申し上げます。




会場はヒーリング、ワークショップで盛況。
ご予約が入れられなかった方々も多数、生じまして申し訳ございませんでした。


最後はオープンリーディング。活発な挙手と質問を頂きました。
お辞儀する度にマイクを落として、すみませんでした。
そして、エネルギーワーク。
エネルギーがカメラにハレーションを起こしたようで

私の輪郭だけ、薄く見えています。
ワークの後は、ほとんどの方が涙しておいででした。

不思議なことも生じていまして、
それに関しましてはまた改めてブログアップ致します。

宿題も生じましたが、お陰様で無事にコンベンションが終了致しました。
心から感謝申し上げます。
ありがとうございました。

今朝も大忙し。

今朝は四匹の飼い猫たちの病院受診日が重なってしまい、朝から大忙し。
まずは、もうすぐ21才になるおちびちゃん。
認知が入っているので夜中の徘徊、咆哮がありますが「人の…」よりは楽だから大丈夫。
穏やかな時間を過ごして欲しいのですが、


(神棚に登ろうとしているはちぽち。)
やんちゃ盛りのはちぽちちゃんが見境いなく、じゃれるじゃれる…
場はあたかも野戦病院。
しかしこの子も受診は欠かせません。
そして最近、関節炎が更に悪化したうみぼちゃん。

寝たきりにならないよう、少しでも痛みが無いよう工夫していますが、やはりspecialに狂暴。
しかし、この子から私は、
「愛とは痛みをともなうものだ」
ということを学びました。ありがとね、うみぼちゃん。

本来なら鼠狩の天才のシャルトリュー種ながら、持病のため運動神経ゼロ、のちゅーちゃん。
何もかもおっとり、獣医さんへの威嚇さえおっとりです。

もう26年お付き合い下さっている獣医師さんが朝早くの対応をしてくださるので、本当に助かっています。
今朝も上海雑技団なみのアクロバティック。
(自分の年齢を自覚すべき、とはわかっています。)
さて、これからお仕事です。

エネルギーワーク致します。

27日のコンベンションで、
エネルギーワークをご提供する運びとなりました。

オープンリーディングの後
時間にして10~15分程度、実施したいと思います。

とりあえずのテーマは、「昇華と浄化」。
でも、当日の場の状態次第で、テーマは変わる可能性はあります。
皆さんで、エネルギー(私の、ではない)を感じられたら、
と思っています。

参加費は頂きませんので、
ご興味ある方は最後まで残られてみてください。

夢の話。


(学芸大学商店街靴屋さんの看板犬さん。)

こんな夢を見ました、
気になってインターネットで夢占いを見たら余り良くないみたいですが…

そのようなご質問を受けることも少なくありません。
基本的にはリーディングしてご返答致しますが、気にしなくて良い場合が殆どです。
ただ、時には気を付けたほうが良い場合もあります。

「お座敷に上がりお膳を頂く夢」
何かの集まりがあるようで、どこかのあがりがまち(玄関先のたたき)で靴を脱ぐ。
お座敷に入ると、ずらっとお膳が並んでいて、すでにたくさんの先客がいて、黙々とお膳料理を食べている。
どこかに空きはないかと探し、空いている座布団を見つけ、座ってお食事を開始する……

はい、ここでストップ。
お膳を食べてはなりません。
食べたら、異界に呼ばれてしまいます。
口をつけずに、たちあがり帰ります。
玄関先に戻ると、あなたの靴はどこにもないでしょう。
裸足で(靴下履いていて構いません)とっとこ、行き先解らなくても帰りましょう。
そこで目が覚めますから。それでオッケー。

もし、たらふく食べて目が覚めたら。
慌てなくて大丈夫、次の日に寝る時に、
「食べずに帰るイメージをみれば」良いのです。
自分は食べなかった。そうつよく思えば、大丈夫です。

「光る駅から電車に乗る夢」
何かとても急いでいて、電車に乗らなくては、と思っている。
いつの間にか駅に来ていた。
わあ、きれいな駅だ。駅舎全体が不思議に淡く光っている。
きれいな駅だからか、とても混んでいる。人、人、人。
ホームに降りたらまた、人、人、人。
ホームから落ちるんじゃないか、くらいに人が増えてくると、電車が静かに入ってくる。
乗ろう。あ、乗らない人もいるんだな。
乗ったら乗客が皆、帽子をかぶっている。
さまざまな帽子、でもみんなかぶっている。
自分は……あれ、いつの間にかかぶっていたよ。

はい、ここでストップ。
すぐに帽子を脱ぎます。
すると不思議なことに、たくさん乗っていた乗客が消えてしまいました。
電車も次の駅に止まりました。すぐに降りましょう。
ここで目が覚めます。オッケーです。

この夢は、帽子を脱がずにどこまでもどこまでも、走っていくケースもありますが、
だからすぐにどう、という事はありません。
だだ、この夢は不思議と続けて同じ夢をみるのです。
2回目からは、出来たら電車に乗らない。
乗っても、すぐに帽子をぬぐ。ドアを開けて飛び降りてしまう。
(ドアを開けると必ず、失速しますから)
そのうちに、この夢を見なくなったら大丈夫。

もし、上記ような夢を見ても。
慌てずに、次の日に対応すれば心配ありませんよ。
是非、覚えておいてくださいませ。

1月27日コンベンション情報。

今月、27日(土)に東京駅八重洲北口、ルノアール会議室プラザで開催する、ヒーリングコンベンションの情報です。

当日は11時に開場しまして、私がまず基調講演をするのですが、今日、メンバーさんたちに
「私がする基調講演って、何?」
と問いかけまして、皆さんを真っ青にさせてしまいました。
今まで、癒しフェアや大学でのテーマ講義などで講演はしてきていますが、実は全てお題提示が当日、というぶっつけ本番。
今回はメンバーさんからの教育的指導が出ましたので、少し準備してのお話が出来るかと……

少し前のブログに書きましたが、
基調講演をお聞きくださる方にはプレミアにイメージピクチャーを、と考えていたのですが、
今のところ、魔方陣などをご提供予定です。
例えば

こちらは「魔法陣」ではなく、「魔方陣」。
魔法だとオカルティズム、魔.方陣だとアカデミック?
タロット、シャーマニズム、ヒーリングのお話をする予定です。
私の講演の後には、鍼灸師でありミュージシャンの尾崎文彦先生の
「不妊治療に於ける寄り添い」
の講演が続きます。

また、堀健志先生調製のマドレーヌ、フィナンシェ、各50個を特別販売致します。

堀健志先生。

1969年生まれ。河田菓子研究所「オ―・ボン・ヴュー・タン」(東京)、阪口コーポレーション「ア・キャトル」(大阪)、1994年渡仏。1998年帰国後、なかたに亭(大阪)、ジャン・ミエ(横浜)にてシェフパティシエ。 2001年「ル・コルドン・ブルー横浜・代官山校」(東京)にて8年間教授職勤務。

ル.コルドンブルーで超人気講師を勤め、今年から渡仏予定の堀先生。
誰もがファンになってしまうお人柄。
コンベンションの為に、特別に調製してくださいます。
上質なスイーツはヒーリング、をご体感頂けると思います。

私の準備が一番、問題となりそうなコンベンション。
少しずつ準備して参ります。
当日はどうぞ、よろしくお願い申し上げます。

本当にあった怖い話。

お正月はどうしても、
あちこちの神社仏閣に詣でたくなると思います。
それは良いことだと思います。
ただ、私見ですが、あちこちに強くお願いごと、つまり願掛けをしていく行為は余り、お薦めは致しません。
願掛け、とは人間側から神霊に対するプレゼンテーション。
その内容や手段、方法によっては反作用=「障り」が生じてしまうわけです。
考えてみたら、明解な事なのですが。
「さわらぬ神にたたり無し」という事です。

そして、実際に「障り」はあります。

…もう何年前か、あるクライアントさんに頼まれてのリーディング。
しばらく前から、会社経営に翳りが出始め何をしても裏目にでてしまう。
余りにも納得出来ない動きだから、何かスピリチュアルな要因があるのかどうか知りたい。

リーディングしてみましたら、
どうも何かが「障っている」、しかもかなり強いエネルギーで。
この障りを解除しない限り物事は暗転を続ける。

ほう。私はかなり信心深いんだけれど。失礼だね、君。
それは失礼致しました。
しかし、貴方は多分、道祖神の障りがあるように思えます。

途端にクライアントさんの態度が変わり、更にリーディングしてみて解った事。

氏神さまの夏祭りの後、神社世話人さんたちの飲み会に飛び入り参加していろいろ話して、道祖神を寄進しようという話があっという間にまとまった。
海に近い土地柄的に、海にちなんだデザインの道祖神にした、しかしデザインが斬新だったせいか宮司は境内にそれを置く事を許可せず
(宮司さんに相談せずに話をどんどん進めてしまったのでしょうか…?)、境内脇の公道に鎮座となった。
という話。
信心深い人たちが、善意でしたボランティア行為なんだよ君。
それがどうして障りになるんだい。
そりゃねえ、確かにそれぞれが願いを込めたよ、でもそのくらい当然だろ?

…それは、海辺の氏神さまの障りではなく、道祖神そのものの障り。
デザインに波があるようだが、確かに道祖神の神は海運の神も兼ねる。
だからといって、波そのものは道祖神を苦しめる形状。
つまり、デザイン性を重視する余り、このモニュメントは道祖神を苦しめる為の封印、という事になってしまった。
そこからの障り。それがリーディング結果。

調べてみたら、その時の神社世話人さんたちは皆さん、暗転。
破産三人、一家離散一人、事故死三人。
デザインを提供した人さえ、倒産失踪していました。

その後、そのクライアントさんもいつしか、行方知れずとなり来なくなりました。
伝え聞いた話しによると、その異形の道祖神は区画整理時?に宮司が受け取り拒否した為、どこかにいってしまったとか。

参拝は、佳き事ながら神ごとであり、
詣でる際の意識により、また詣で方により、障りが生じる事すらあり得る。
慎重に、もとになる事は、信じる心。

この時期になるといつも、そう思います。

馬頭観音詣。


此方は、鎌倉でタクシードライバーをしているクライアント様が送って下さった「初日の出」。
清々しい初日です。

元旦は氏神さまに初詣のご挨拶に行きました。
初詣で気になるのは「厄年」、
でも本来は厄年とは、
「鎮守の神様の祭祀のお手伝いをする為に、身体を清め、私事の諸用を入れないようにする年廻り」
だったそうです。
それが、江戸時代に入る頃から、禍が起きやすい年廻りなので神社仏閣で祓いを受ける年、というように変遷し、概念が固定してしまいました。

厄年だから、と恐れ萎縮する必要は無いわけです。
但し、年齢的に身体の変化が生じやすい時期ではあるのは確かでしょう。
また、何か上手く運ばなかった時の言い訳として、「厄年」を使うのはひとつの有効な手段でしょう。
個人的には、チャンスがあるのに厄年と見送る必要は皆無かな、と思っています。

今年は、氏神さま、江ノ島弁財天以外には思うところあり、「馬頭観音」を詣でてきました。
馬頭観音は観音さまとしては非常に珍しい憤怒相、三面六臂で密教では明王とされるそうです。

神奈川県厚木市の七沢馬頭観音さま。

此方は境内に

ヤギがいたり、チャボがいたり、

キバタンの小型種、「コバタンのひなちゃん」が居てとても賑やか。
(みんな、捨てられた仔たちだそうです)

境内に安置された石仏の数々、それが成せる意味合いもまた感慨深く、
必要とは、必然として意識下でキャッチ出来る。
その感受性は時として、祈りによりもたらされる。
そのような事をふと、思いました。

明日から今年の仕事が始まります。
今年も真摯に努力して参りたいと存じます。
よろしくお願い申し上げます。