フランスの高速道路サービスエリアのトイレ標識。
切羽詰まった感が、リアリティ。
「鶴見さんは、ワクチン接種してますか?
してませんか?」
去年あたりから、時折受ける質問です。
「接種はしています。」
「え!しちゃったんですか?どうして?」
「何回、したんですか?まさか、3回?」
回数を言うと、聞いてきた方は大抵、苦悶の表情に。
「鶴見さん。あなた、死にますよ。もう駄目です。」
「仕方ないですね。自分でえらんだのですから。」
そして、リーディングしている内容に関しては、
「ああ、その人は反対してくる可能性が高いのですね。でもこの人はワクチン打っているから、もうすぐ死ぬから大丈夫。邪魔にはならない。」
というような発言が出たりする。
世の中は、いつから他者に死の宣告を勝手にしても、それが許されたり、歓迎されたり、感謝して欲しいと強いることが出来るようになったのだろうか。
人に死を断言することが、安易になされて良いのだろうか。
私は、いろいろな形で、
多分、一般より特殊な状況や感覚で、死に向き合うことが仕事上、生じる。
死、という「概念」を、拙著、
スピリチュアル・コードの続編では語ってみたいと考えてはいる。
だから、
ワクチンを接種した、していない、
そのことを理由に、他者に死を断言し、
突きつけるのは全く心無いことだと思う。
そういう言い方をするひとは、
私のリーディング、ヒーリングには来ないでください。
お願いします。