目に見えている事はわかりやすく真実であると予測され、言葉にして響かせる事が出来る場合もあり、その相乗効果により、人はいつも自分は真実の中を生きていると考える。
さらに今の時代は、それを携帯型パソコン端末機のアプリを駆使し、数多のデータの中に自分の共鳴を拾い集めて仲間をつくる。
時代は移るもの、仰業なパフォーマンス的なしきたりは影を潜め、希薄な曖昧な時間の流れが意識的に演出されるようになる。
現代とはそんな流れのかなり、末期に近い時期に入っているように思います。
時間は、物事は変移する、終いと更なる再生を孕んで。
そんなことを過去のシャーマニズム事例を見ながら考えています。
シャーマニズムの所作もまた、様々なのですがそのひとつが、ポータル(異界への出入口)を設定する能力。
こちらは掌にポータルが開きはじめたところ。
こちらは掌にポータルが開いたところ。
これは頭部にポータル、凹んだ形に見えます。
「何か」に対して排除をする事がシャーマニズム、というわけではないと思っています。
排除はエゴイスティックでその場しのぎ的な選択。
存在は必ず、意味があり場があり、だから本来の場に戻してこそ、エネルギーの均衡となるはず。
それがシャーマニズム。
ポータルを設定後に現れた現象。
首の真ん中と頭頂に、排除ではなく取り込んだもの。
しかしながら、必ずしも取り込みが出来るわけでは無く。
このケースは三年前。
時間の猶予が無く、しかも取り込まれる側に立場が逆転。
石祠の前の頭部が透けている状態、
肩に乗る黒い塊が拡大した状況、
頭部ポータルが開いて塊が解消されていく終盤。
この場所に先日、行ってきましたが幸い、黒きものは無くなっていました。
しかしながら、やはりエネルギーアタックはあり。
私のみ存在は希薄になり
身体が別次元に取り込まれる。
しかしながら、空気は、風は、水はあくまでもクリア。
三年前とは、水に棲む存在が変わったのでしょう。
ポジティブ、ネガティブとの区分けをする必要はなく、今のクリアな水のエネルギー、そしてその中に棲まう存在は、私のエネルギーとの「震動」が起きるのでしょう。
これがシャーマニズム的変移。