カルマ。

庭のメダカの鉢に
今度は白い睡蓮が咲きました。
清楚な一輪。

クライアントさんから、ご質問を受けました。
リーディングの際に私が、
「この方とお客様との間には、ご縁があるのは確かでしょう。
但し、世間一般では腐れ縁、と言われたりするかもしれません。
腐れ縁であれば、腐れを取り去ってご縁、にする事は可能ですが。
お客様とこのお相手に関しては、それを越えたカルマ的なものが介在するように思えます。」
と申し上げた事に関してです。

私は、リーディングを聞いてポジティブに捉えましたが、
今一度、鶴見さんの考える「カルマ」について、
教えて頂けますか?
というご質問でした。

以下、私の返答です。

カルマですが、
日本語にすると大抵の場合、
「業」「因縁」という、非常にネガティブな雰囲気になりますが、
私は「宿命、今世の使命」と考えています。
業や因縁なら、断ち切りたいものになりますが、
ちょっとそれは違うように思います。
今世、そこから逃げたら
何のために生まれてきたのかわからない、大切な約束。
そのような、捉え方です。
悪縁を良縁に進化させるのは
全てを容認する無償の包容力、と思っています。

宗教的なカルマの概念とは、異なるかとは思います。
私は、全てを因縁の一言で片付ける短絡さはキライ。
因縁は祓えば良い、という狭量は聞きたくない。
物事はそんなに、インスタントではない。

私は、概念の螺旋の道を敢えて選んでいるのかもしれません。