ある符号。


私が帰省で暫く家を空けたので、
最近、かなり調子が落ちてきていたうみぼちゃんを入院させていました。
今朝、退院。
獣医師の先生、スタッフの方々にとても良くして頂いて、
初めて、家族以外の人間にごろごろ言えるようになりました。
まだ通院は続きますが、お帰りなさい、うみちゃん。

昨日は旧知の、アカデミックなお仕事をなさっているクライアントさんが朝イチでお越しくださいました。
数々の重い疾病を乗り越えていらした、お姉さま的存在。

最近、自分でもどうにも止められない行動パターンが出来てしまってねえ。
でも、先日、ちょっと鶴見さんにメールしたら、それだけでなんだか、あたまの中の霧が晴れた感じになったの、良かったわ。
まだ行動パターンは続いてはいるけど、
私、大丈夫よね?
こんな聞き方でも良いかしら?

もちろん、良いですよ。
ちょっと状況、みてみますね。
あ、心配は無いって出ていますね。
心配は無い、とりあえずは……あれ?
でも、ちょっと表面上には出ない何かの要因は隠れていますね。

うーんと、何故か、
「足軽」という言葉。
レジスタンス、という存在。意味。

そうかも。わかるわかる。
僧兵、とは出ていない?

うーん、それを私が言ってしまったら、なんだか事態が収拾つかなくなりそうな。
でも、否定は出来ないし。
うーん、言いたくないけど本当に言いたくないけど、
はい、僧兵出てます。

そうなのね、それなら○○は?××は?
そんな、謎かけ的なやり取りが続いたのちに私は、
「わかりました。それならば、○○の地に私が行きましょう。」
と、つい発言してしまい。
(内心、私ったら何を言ってるのかしら、そんな場所に行くなんて。と、冷静にも思っていて。)

そして、クライアントさんは
それを聞いたとたんに、
「かたじけない!かたじけない事にございます。」
と泣き崩れる、という有り様。
それなのに、10分後には、
「いやあ、さっきはお互いにおかしかったよね。」
と、冷静に状況分析したりしていて。 

日常のふつうの生活の中に、
謎と不思議、ではなく
ある法則性のある「問い掛け」が含まれる一瞬、が生じ、
それは符号となり、働きかけ、影響しあい、符号が構築された事象、を形成していく。
符号と符号の接着剤は、必然。

実施になるか流れる企画か、
しばらく様子見していきます。
「かたじけない!」