疾病と因縁と。


最近、二歳になったはちくん。
とても綺麗なカッパーアイ。

今日は若いお嬢様の疾病問題を抱えている
お母様クライアントさんがお二人。

お一人は、原因不明の精神不安定で小学生の頃から入院加療を繰り返しているお嬢様のお母様。
専門家が何人もチームを組んで診療、でも
「疾病とは特定出来ない原因不明の状態」
という診断で中学三年生の時に退院、
今は成人なさっていて、しかし時折、不穏になられる。

もうお一人は、家族には爆発的な怒りを繰り返し、
しかしながら華奢な体躯、人形のような顔立ち。
第三者には囁くよう可愛らしくに話し、
身内には常に怒号を浴びせ続ける、
双極的な要素と自傷要素を持つお嬢様のお母様。

お母様はお二人共に疲れ果て、
しかしながら客観性を持ち
飄々とお話を進めていかれる。
頭が下がる思いで、お話を聞きながらカードを繰る。
少しでも、小さな事でも、何かメリットになるような事を引き上げる為に。

このような原因不明な、
精神的要素が強い、
もしくはかなりの難病的な疾病に対峙した場合、
本当に良く耳にする言葉が、
「やはり、これは何か先祖の因縁でしょうか。」

あくまでも私見ですが、
「因縁」という言葉をだしたら、もう全てが因縁の成せるワザになってしまうし、
私は宗教家ではないから意見は出来ないけれど、
供養のエンドレス状態になってしまったり、
因縁を解消する為に高価な物を買ったり、
全く納得出来ない話の展開になるように思います。

確かにご先祖様は大切にすべきだとは思いますが、
私は生きているという現実を優先すべき、
という考え。
罰当たりと言われたら、そうなのかなと、
でも罰当たりじゃないとも思います。

ご先祖様を供養していかなくては
今の自分が救われないならば、
原因不明の疾病になるならば、
辿っていったら
440万年前の猿人、アルディや
318万年前のアウストラロピテクスのルーシーまで
供養の対象になっていってしまうのでは?

ですから、
「因縁が……」と言われたら
「因縁を原因とした、原因不明の問題は結果、原因不明として因縁に帰さないのでは。」
とお答えしています。

世の中とはもっと複雑な
事象と事情の綾であり、
疾病はその重なり合う綾の、
不規則な部分かもしれません。

今日、拝見したお嬢様がたが
少しでも快癒していきますように。
お母様の永い哀しみが、癒えますように。
祈りを捧げます。