「自己肯定感」考。

吹雪く直前の、不思議に穏やかな雪国の青空。

「私の自信は何でしょうか。私は何に自信を持っていけるでしょうか。」

このような質問は割と多く受けます。
「あなたの自信、ですか?プライドですか?」
「自信、です。プライドではありません。」
「自信、とは自分自身を把握してこそ生じる意識ではないかと、私は思うのですが。
ですから、他者に自己の自信、を聞くのは申し訳無いですが、いかがなものかと思います。
なぜ、貴方は自分の自信、を私に問うのでしょうか。」

ごめんなさいね。禅問答みたいで。
でも、言葉にしてそれを設定したら、
それは場合により、洗脳になったりしますから。
申し訳ないのですが、慎重にしたいんです、
そのようなご質問は。

例えば、
「私は鼻が高くて綺麗な形をしているのに自信を持っています。」
なのか、
「私は自分の綺麗な形の鼻にプライドを持っています。」
なのか。

因みに、辞書を引いてみると

自信(じしん、self-confidence)とは、自己を信頼する気質、徳目である。
[名](スル)自分で自分の能力や価値などを信じること。自分の考え方や行動が正しいと信じて疑わないこと。「自信を失う」「自信満々」
「悉(ことごと)く粋を尽くしていると―している」

プライドは

プライド(pride)とは、「誇り」「自尊心」の意味で使われる英単語である。その他には、「うぬぼれ」「傲慢」「虚栄心」など悪い意味でも使われる。どちらにしても人間の大切な心を表す感情には違いない。人間には誰しもプライドが存在する。

私は、世間に広く出回っている
「自信を持てば自己肯定につながり、物事が巧く運ぶ」
という、自己啓発的な考えには疑問があります。
なんじゃそりゃ。です。
そんな簡単な仕組みではないぞ、宇宙とは。
え?宇宙?そんな大袈裟な!
いやいや。だって、人間がきめた仕組みは小さなもの。
「生きる」という事は、人間の仕組みを踏まえつつ、それを超えた、云うならば「宇宙哲学」を実践していく、という事。
その、宇宙哲学には「地球の夢」が含まれると、私は考えております。
男女のラブ、という意識とは違う「宇宙の愛」。
地球の夢。

ちょっと話が逸れました。
クライアントさんに、どうしてそのようなご質問をなさったのか、聞いてみる。
「幼い子供たちを育てていまして。
私が自信ある態度を取れれば、子供たちに自己肯定感が伝わり、自分に自信を持つように育つかと。」

誠実で真面目な、愛情溢れるお母様なんですね。
偉いです、いろいろお考えになっていらして。
でも、自信ある態度を心がけるより、
とにかく愛して愛して接していく。
愛しているから怒ったり嘆いたり笑ったり泣いたりする。
それで良いのではないかしら。
親御さんの「自信」と、お子様の「自信」は違う。
更に、3歳児と7歳児と10歳児と、自信という概念は異なるはず。
そのあたり、柔軟に考えて差し上げてくださいね。

と、前置きをしてからリーディングにはいり、
貴方の自信とは……と、読み込んでいきます。
基本、私は余り自分の意見は差し挟みません。
でも、違和感を感じた事は僭越ながら、お伝えはしています。

自己肯定感があれば
成功体験があれば
人とは、目標達成をしていけるものなのかしら。
第一、その「目標」とは、どの視点からの目標なのかしら。
銭ゲバだって目標だし、意味がある。
清貧に、奉仕に徹するのも目標だし、意味がある。
何が肯定か、何が成功か。
どうぞ、言葉に惑わされないで。
言葉に、流行りに、情報過多に
惑わされない自分に自信を持って。