「大人ですから。」

リーディングに関しましては、株価の動きや為替相場等はお断りしておりますが、多岐に渡るご質問内容でやはり、一番多いのは恋愛を含む人間関係になるかと思います。

「彼は私をどう思っているでしょうか。」
「はい、彼はお客様を大変信頼していて…」
「ああ、わかっているわ。わかっているからそれ以上は言わなくて良いわ。そうなのよ、とても深く信頼感しあっているの。だからもういいわ。」
「そうですか、それでは次のご質問内容は?」
「ちょっと待って。彼は私を大変信頼感し、私はそれを理解しているわ。そうじゃなくてね。私を女としてどう思っているか、それも知りたいのよ。」
「ああ、どうも異性としてはあまり興味なく友だちですね。」
「なんですって!ちょっと待ってよ、それでは某月某日に◎◎で△△したのは一体、何なのよ。ねえ。はっきりしてよ。」
「お客様、それは私にではなく、ご当人さまに直接的聞かれたほうが……」
「そんな事、直接聞けるわけがないじゃない。そんな空気読めない、場をわきまえないような事は、大人としていかがなものか、そんな云々かんぬん…」
「……」

確かに、近しければ近しいほど、本音を聞くのがはばかられたりするものです。
敢えて、感情的になりたくない。
平和にやっていきたい、だから聞きたいことも聞かず、言いたいことも言わない。だって
「大人ですから。」
なんとなく、水戸黄門の印籠的にオールマイティーに場を納めるような気分にはなります。
でも、大人的な見ざる聞かざる言わざるが果たして、成熟した人の智であるか、といったら私は疑問点に思います。
何故なら、
大人として見ざる言わざる聞かざるで平和に思いやりをもって相手の気持ちを常に察しながら私は彼に(彼女に、息子に、娘に、友だちに)接しているの。
という方のほうがどうも、ぶちギレやすいように思うからです。

また、こんな場合も。
「私は大人だから、彼には言いた事はなんでも言えるフェアな立ち位置を保ちたいの。」
確かにそれは大事な事ですよね、でも言いたい事はなんでも言いたい!のは素直ではありますが、子供の関係ですよね、ワガママとの線引きが出来ない。
言いたい事を言えない。というシチュエーションが人を大人にしていくのだから。

大人である、ということは多分、等身大の自分を客観的に把握しようと智恵の力をつけていく、その努力の過程を指すのではないかしら。
と、私的には思っています。知力と智力と魅力の進化形、それを「大人」として目標に出来ればと思っています。