「誰そ彼」=たそがれ(黄昏)。


2014年に訪れたスイス、シャフハウゼンの街のたそがれ。

たそがれ、という言葉があります。
漢字で書くと「黄昏」。
日が落ちて、夜の闇が拡がってくる、そのほんの合間の時間。
空と地がインディゴブルーに包まれる時間帯。
この、たそがれ、という言葉は「誰そ彼?」が元になっています。
空の闇、地の闇が溶け合い、すれ違う他人の顔どころか、輪廓までもが把握しにくくなる状況。
あなたは誰?
人ですか、魔物ですか?
生きていますか、いませんか?
それは確かめなければ、すれ違うだけではわからない、だから「誰そ彼?」=たそがれ。

黄昏時には、あの世とこの世の境界線が曖昧になる、と言われています。
先日、高校生の息子さんを白血病で喪われたお母様が、リーディングにお越しになりました。
彼女とは子供がほぼ同世代、もう長いお付き合い。
私はシャーマニズムは行いますが、人霊は特化分野ではなく、タロットリーディングにて読み込んでいきます。
(憑依型シャーマンではなく、脱魂召喚型になります。)

まだ若々しく綺麗可愛いお母様は、
余り泣いてはいないの、
実感が無いのと、もう苦しんでいないならそのほうが良いから、とお話ししつつ、
今、どうしているのかやはり、気になるの。とのお話でした。

秘蔵っ子のドラゴンタロットでリーディングしながら、
ああ、ずいぶん体が楽みたいですよ。
でも、脚が細くなって顔が痩せてしまったのが気になるみたい。
そうなんだ、あの子はオシャレでイケメンだったから、気になる年頃だったしね。
わたしはどうすればいいのかな?
うーんとね、元気だった頃のイメージを持ってあげると良いと思いますよ。
それなら、イケメン写真を探して、おうちのあちこちに飾ろうかな。

私は宗教家ではないので、一般的な宗教論はしないのです。
リーディング。これが全て、です。

ねえ、鶴見さん。あの子は今、何処にいるのかな。
いつも一緒にいるのかな、引き留めてはいけないのかな?
私は、引き留めても構わないと思っていますよ。
彼方の世界、は別世界ではあるけれど、なんていうのかな、連なってはいるけれど時間の軸が少しちがう、そんな世界にいるんじゃないか、と思えるんですよ。
そう思ったのは、ある夢を見たからなんです。

何年前だか、いろいろ本当に難儀な事が続いた時期にみた夢で、(いつでも難儀、という説もありますが(笑))
夢の中で、田んぼの畦道を何処までも歩いているんです。
左右には黄金色に実り、頭を垂れた稲穂が続き、そんな中、麦わら帽子をかぶったおじいさんが一人、汗をふきふき稲刈りをしていて。
ああ、大変そう。
そう思って、そのおじいさんの所まで走って行って、
「すみません、もし宜しければ、私にお手伝いさせてくださいますか?」
って聞いたんですね。
そのおじいさんは顔を上げて、ああ、頼むよ助かるよ。
と言って鎌を渡してくれて。
でも、私はそのおじいさんの顔、見覚えがあったんですね。
実家の仏壇に飾られている、母の父。
母が結婚する前に亡くなっているので、私は写真でしか、祖父を知らない。

しばらく並んで、黙って稲を刈っていましたが、
思いきって
「私の名前を知っていますか?」
と聞いてみたら、そのおじいさんは笑いながら、
「もちろんだよ、明世ちゃんだろ。」
と言う。
「でも、私たち、今日初めて、私がうまれてから初めて、会ったんですよね。」
と言ったら
「おかしな事を言うんだね。私たちは、姿は確認しなくても、同じ時間を共有してきたでしょ。」
と言う。

また稲を暫く刈っていたらそのおじいさん(祖父)は、
「ああ、もうこんな時間だ。余り此方に長居はしないほうが良いから、辻まで送ってあげよう」
と言って、畦道を戻りながら畦道と広い道が繋がるところまで送ってくれて、
「さあ帰りなさい、後ろは見ないで行きなさい。空に螺旋の継ぎ目があるから、そこから彼方に出られるからね。私たちの時間軸は違うけれど、それは時おり、弧を描いて交差するんだよ、その時には往き来が出来るからね。」
と、妙にオレンジ色の空の世界から送り出してくれたのでした。
夢、なんでしょうね。
でもね、起きたら右手の手のひらに、血マメが出来ていたんですよ、一生懸命に鎌を使ったからかしら。

あの子にまたいつか会えるかな、いつでも感じられるかな。
そう、仰いながらお母様は、いつも支えてくれている優しいママ友と一緒に、帰路につきました。

いつでもいらしてね。
私も次回は泣かずにリーディングしますから。
今日の黄昏時には、誰そ彼?が来るかしら。