「因縁」とは。


庭のメダカ鉢の睡蓮が咲きました。
なんて清楚で美しい。

私は余り宗教的ではないところがあり、
シャーマニズムは組織的宗教とは異なる部分があり、
また大きな声では言えないのですが
500万の墓石を建てれば全てが安泰とはちっとも思わないので、
クライアントさんから良く聞く、「因縁」という言葉には
正直、アレルギー反応を起こしていました。
そんな、自分のミスを棚にあげて因縁のせいにする?
とか、
理屈がつかないことは因縁になるの?
とか、
何より、因縁をワンコインで解除しますよとか、
逆に因縁を祓うからと3000万取られました(でも、払ったのは自分の意思ではありますよね…?)とか、
毎日、一回は「因縁」という言葉を聞くことを疑問に思っていました。

しかし。
最近、やはり因縁はあるんだとしみじみ感じる事例を何件か続けて拝見したり、
巨額の金銭を支払いながら因縁が更に深まっている案件が持ち込まれたりして、
いよいよ知らん顔出来なくなってきたかしら、という感じ。

とはいえ、私はリーディングが現況仕事なので、
因縁対応をします、と声をあげたりは今はしないですが、
因縁事は因縁事として、
誤魔化さず、スルーせず、必要に応じて対処していく事も考えています。

それはヒーリングではないようでいて、
魂のヒーリングにはつながると切実に思うので。

もうすぐ彼岸。
季節は変わり、秋へと向かいます。
皆様、ご自愛くださいませ。

因縁話は、次回に。