大人の階段。


一年前のはちくん。
今と比べると、まだまだ幼さが残る顔。
少年から成年へ、猫もヒトも同じような過程をとるのでしょうか。

先日、訪れたクライアントさん。
地味で清楚な佇まいの、まだ幼い子供をもつお母さん。
ただ、ヤンママではないそれなりの年齢のママ。

「鶴見さん、実は私、恋をしちゃって。」
「へ?恋?」
「片思いなんですが…子供の担任の先生に。うふ。」
「あ、そうなんですね。うーん。
私は宗教家ではないから説教はしないですが。」
「説教しても良いんです、うふ。」

つまり。
恋をしたのでつい、誰かに話したくなって来た。
そういうことでよろしい?
「まあ。そんな、話せないわ。ああ、でもどうしよう。」
クライアントさんは、両手でほおを押さえて
「うふ。うふ。うふ。」
と、言っている。
しなだれて、でも「うふ。うふふ。うふ。」
時折、恥ずかしそうにしながら、やはり「うふ。うふ。」

私は敢えて話題を変えずに、
彼女が「ちゃんと占って欲しい」と仰るのを待っている。
だいいち、とても大切な恋ならば、かなりの覚悟と
見返り無き努力が必要なはずなので。

しかしながら彼女は、ほぼ一時間の枠内ずっと、
「うふ。うふふ。うふ。」と、くねくねしながら私が
何か言うのを待っていたようで、
でも私から何を問えと言いたいのだろうか。
私から問う事が何かあると言うのだろうか。
そして時間は過ぎ、時間終了。
彼女はくねくねしながら、
「あの。私、今日、お代支払わないといけませんか?」
「………」

また別のある日。
アネゴ肌のワーキング女史クライアントさん。
開口一番、
「鶴見さん。いやー、やっちゃった。恋しちゃった。」
「まあ。それはそれは。」
「わはは。まあ、寝ちゃったわけなんだけど。」
「……」
「寝てみて、なんですが。まあ、寝ちゃうとですね。」
彼女の口から、一時間の拝見時間内にNERU、という言葉が
何百回出たのだろうか。
私は内心、
子供のお菓子の「ねるねるねるね」をおもい浮かべていました。

ああ、そういえばむかし、
♪大人の階段のぼる〜君はまだシンデレラさ♪
という歌がありました。
大人になっていないヒトは、意外とたくさんいる。