幻視と幻覚

「鶴見さんは見えるんですか?」
クライアントさんには、良くそのように聞かれます。
私は、例えば
「あなたの後ろにひいひいお祖母様が立っています。」
みたいなものは見えません。
かなり前に、紹介されて半強制的に「シャーマン」のおばあさんに接見に行った事がありますが、その時に
「あなたの守護霊さまは、一緒に来た人の守護霊さまと、本当に仲良しで二人はピッタリと寄り添っておるわい。」と言われても、
それに何の意味があるのか皆目理解出来ずに
「はあ。」とだけ返答して、
同行者に「なんて失礼な態度を、有難きお言葉と大いに喜びなさいよ。」と言われても
納得いかずに黙り込み、かなりまずい空気が場に満ちた事もありました。

「見える」とは、どういう事なのかしら。
「幻覚」と「幻視」は、違うのかしら。
例えば、聖書しかり、ダンテの「神曲」しかり、
ミルトンの「失楽園」しかり。
これらはみな、「幻視」状態で書かれたもの。
内容に強いメッセージ性を含みます。

では、「幻覚」と「幻視」は違うのでしょうか。
例えば、認知の症状で「見える」事はあります。

幻覚とは、実際には存在しないものを見たり聞いたり感じたりする症状です。
なかでも実際には存在しないものが見える幻視は、レビー小体型認知症の方に初期の頃からよくみられる症状です。
見えるものは、子供、人、動物などが多く、動きや色を伴っていたり、いなかったりします。
死んだはずの配偶者や親せきが見える場合もあります。
周囲の方からすると、ご本人が誰もいない空間に向かって話しかけているように見えたり、誰もいないところにお茶を出そうとしているように見えます。

錯視とは、ものを見間違えることです。
たとえば、壁紙の模様を見て虫が這っていると思ったり、壁のシミが人の顔に見えたり、ベッドカバーのしわがヘビに見えたりします。
レビー小体型認知症の方は錯視もよく体験されます。

この状態を作り出す装置もあるようです。

アイソレーション・タンク(Isolation tank)は、感覚を遮断するための装置であり、光や音が遮られた空間で、皮膚の温度に保たれた高濃度のエプソムソルトの塩水に浮かぶことで、皮膚感覚や重力の感覚を大きく制限することができる。リラックスを目的として、また心理療法や代替医療として使われている。1990年代以降はヨーロッパを中心にフローティング・タンク(floating tank)と呼ばれることが多い。遮断タンク、瞑想タンク、サマディ・タンクとも呼ばれる。
研究はタンクの体験によって、ストレスや不安を軽減し、線維筋痛症の痛みや睡眠を改善することを示している。

世界のあらゆる宗教のもとに、この「幻視」が重要性を持つのであれば、
どのような「価値基準」でそれが行われていたのか、
と考えてしまう。
例えば、ヨハネが幻視した事が書かれている
「ヨハネの黙示録」、忌まわしき赤い龍は、東洋ならば神なのに、と思ってしまうから。