嵐の後の江ノ島弁財天。

超大型の台風が駆け抜けた後、江ノ島に行ってきました。
台風の高浪の影響で海は茶色くなり、空の蒼とのコントラストが鮮烈でした。

遠くに見える富士山、ぽわぼわの曇がアフロウィッグみたいに見えて可愛い。
手前の浅瀬は打ち上げられたゴミの山…

海は荒れていて、あちこちに波頭が砕けて。

江ノ島で目指すは奥津宮。
宗像三姉妹、弁天さまの一番上のお姉さまのタギリヒメ(オクツシマヒメ)をお祀りしています。
私は宗教家ではないので、祭神に関する詳細はここでは説明しませんが、此方の隠れた御神力は
「女が女にねがう縁切り」、
つまり女性が同性の相手との縁を切りたい場合に、裏手から登りお願いし、また裏手からひっそりと帰ります。

男性は願えないのか、と申しますとイケメンならば。
若い人ならば、という事になるかと思います。

それでは、一般的男性および異性との縁を切りたい女性はどうするか、と申しますと
赤坂にある「豊川稲荷東京都別院」が縁切りにあたります。
もともと豊川稲荷さまは千手観音さまを祀っていまして、豊川の土地の守護にダキニテンさまが現れた為に豊川稲荷、と言われるようになったそうです。

縁切りはよくクライアントさんに聞かれる項目ですが、簡単にお願いに行こうとして叶うわけではありません。
本当に悪しき相手に陥れられたり利用されたり、という場合に天祐がある、といえるでしょう。

但し、どんなに悪縁、と思ってもそれがカルマであった場合は、本当になにをしても切れません。
カルマは切れない、ならばどうするか。
答えは明確。ポジティブ、ネガティブという考え方自体を切り、相手は切らずにともに歩んでいく調整をする事です。

縁なのか、カルマなのかを確かめる為に真摯な気持ちで詣でる、という事もまた有り、と私は思います。

見えない「人生のジグソーパズル」。

突然に物事が動き出す、しかも不可抗力的に更に、アクロバティックに。
想定外に予想以上。
そういう動きは本当にあります。
今週、既に2件ありました。

2件とも経営者。
1件はITビジネス、ソフトの作成と周辺環境へのコンサルティングをなさっていて、
もう2年ほど、主計画を進めていた相手方がいきなりの梯子外し。
宙に浮いた計画と焦げ付いた経費を抱えての今後に関するリーディング。
この手のリーディングは本当に真剣勝負、終わると心身ともに摩耗します。
勿論、クライアントさんも磨耗し尽くしてしまわれますが。

このクライアントさんは海外がビジネスベース。
今までの仕事の動きは間違いではない、だから外された梯子を自分で抱えて掛けなおすしかない。
リーディングしながらリアルタイムに目ぼしい企業に電話したり、ファイリングメールを出しまくり、ファイナンスの段取りもつけつつ、と学芸大学オフィスはさながらビジネス野戦病院状態。
そんな中に届いた一通のメール。
予想外の取引先から、親会社に紹介したいので是非、詳細を、との事。

このメールが、この仕事における「ジグソーパズルの重要ピース」。

物事は、或いは人生は多分、見えないジグソーパズルのように数多のピースが組み合わせって出来ていて、それは人だったり、事象だったり、でも過去のピースも未来のピースも時間軸のピースはごちゃ混ぜで、だから「ヒト」の三次元的な見解では全体像を掴めない。
でも、何かのきっかけで重要なピースがひとつ、はまると後は自動的にピースが集まってきて(まるで磁力で引き寄せられるように)物事が飛躍的にアクロバティックに構築されていく。
だから、重要なピースとは、つよい磁力なのか、エネルギーなのか、時間軸なのか、そのような要素を含んでいる「物もしくは者」であるように私は思うのですが。

クライアントさんは次の日早々ににアメリカ某都市に飛び、今日、親会社のまた上のコングロマリット頂点と特別に契約の打ち合わせが出来た、と知らせてきてくれました。

もう1件は飲食。

こちらも、まさかという所から話が急展開、それまでは停滞もいまや致し方無しか、という状況であっただけに、また舞台はヨーロッパの主要三国という素晴らしく華やかなアクロバティック。
この話も、学芸大学オフィスが野戦病院化していました。

努力と忍耐と誠実さの上に、新しいチャンスを呼び込み、海外で展開していくクライアントさんに拍手。
でも彼らはきっと何か、見えない人生のジグソーパズルの磁力ピースを見つけ出す能力があったのでしょう。
その能力は天から与えられたものかもしれませんが、天にプレゼンテーション出来る心、ハートがあったからでは。
と、私は思っています。

虹の橋を渡らなかった仔。

10年前の夏の終わりに我が家に来た、捨て猫のまるちゃん。
我が家には行き場を無くした犬や猫が一時期、本当に沢山おりまして、この仔は「これで引き受けはおしまい!」の意味で、まる。という名前を付けました。
猫AIDSのキャリアでもあったまるちゃんは、何故かぐんぐん大きく育ちまして、最盛期にはなんと、9キロもありました。
大きな身体ではありましたが、病気の多い弱い仔ではありました。

そのまるちゃんは、今年の夏のある日、突然に心臓の発作を起こし。
それでも2日間、頑張って頑張って私が介護帰省から戻るのを待っていてくれて。

猫の中では一番若いまるちゃんが旅立ち、やはり悲しさは募り、そんなある日末っ子にお母さん、まるが何処にいるのかカードでみて欲しい、と言われました。

リーディングしてみたら、
まるはまだおうちで暮らしている、お姉さんの勉強している側にいる、どこにもいかない、との事。
末っ子は獣医学臨床専攻で、いつもまるちゃんは末っ子の猛勉強に寄り添っていたのです。

私と末っ子は相談し、まるちゃんのヨリシロになる子猫を迎えよう、ということになりました。
まだ小さい仔なら、魂がフュージョン出来てなんとかやっていけるはず。

そして迎えたのがはちぼちちゃん。

リーディングして選んだ仔です。

はちぼちは先住猫たちに教育されながら、すくすく育っています。
フュージョンしているのはまるちゃんだけではなくて、旅立ったあの仔もこの仔も、そうかな……?
そんな話をしながら、無事に育って欲しいと願い、お世話しています。

弱かったまるちゃん、はちぼちと同化して走り回れて良かったね。

「レイヴン」という名前。

2006年にスイス、バーゼルで開かれたヒーリングコングレス。
今は本体を失いましたが、ドイツ国際ヒーリング協会が主催し、ドイツ語圏を主体としアメリカ、ヨーロッパでヒーリングを定義、提供するボランティア団体であるIAOHが最大規模で開催したコングレスで、私は招聘を受けて参加しました。
そのコングレスの場で出逢ったアメリカンインディアン、シルバーバードが私にくれた「特別な名前」がレイヴンです。

語学は苦手、ドイツ語はちんぷんかんぷんの私には、コングレスでの実施試験や講演、オープンリーディングの時には通訳がつきましたが、それ以外の時は放置。
困っている私をいろいろ手助けしてくれたのが、同じグループでコンベンションをしたネイティブメキシカンのクラウド。
彼は天候を操るシャーマンで、フレンドリーでお茶目なおじいさんで、会場で雲を呼ぶ為に焚き火を焚いてスプリンクラーを稼働させてしまったり(確かに雨は呼んだかな)しましたが、彼と話している時に
「同種の力強いエネルギーを感じる。」と、話しかけてきたのがアメリカンインディアンのシルバーバード。
シルバーバードは小柄なおじいさんで、楽曲を演奏して儀式をおこなうシャーマンでした。

三人それぞれがたどたどしい英語で会話し、シルバーバードが、
あなたが真のシャーマンであるのか、どんなシャーマンあるのか確かめたい。
と言い出しその為にテストをしよう、私は異界に行き違う姿になって隠れているから見つけ出しなさい。
と、一般的に聞いたら大変、とんちきな話を持ちかけられしかしながら語学力が無くイヤだと伝わらず、ギャラリーも増える中、テストは開始。

結果、テストは合格したのですがシルバーバードを異界で追い回した私の姿が、大きなワタリガラスだったそうです。
私は、小鳥があなたをピョコピョコと探しに行きませんでしたか?と聞いたのですがシルバーバードは、
いやいや。巨大なカラスに襲われた、全く信じられん参った、とレイヴン(大鴉)というアメリカンインディアンネームを私に贈ってくれました。
(ちなみに、シルバーバードは可愛らしいホオジロになって藁床に隠れていました。)

その時にメキシカンのクラウドは、レイヴンかな?
自分にはとても小柄なハヤブサ(ファルコン)に見えるなあ、でもなんだって良いんだ、役割を果たせれば。
そう言って私にウインクしました。

実はテストに入る前に、いきなりのシルバーバードの提案に困惑している私に、クラウドが助言をくれました。

「なんて課題だ、そんな事出来ないと思っているだろう?出来ない事を課題として与えられる事はない。今の考え方ではダメだ、という事だ。すべての感覚を開放して言葉にとらわれるな。しかし、なにかを見いだしたら逆に言葉で固定しろ。出来る出来ないではない、必要だから得るのだよ。私は雲になってあなたを導ける。しかしあなたは、いつか雲を抜けるだろう。その意味もきっとわかる、さあ五感と六感を解放して。」

クラウドは既にこの世にはいないのですが、そのときの優しい助言と、お茶目な笑顔は今でもありありと思い出せます。

最近、知ったのですがハヤブサは猛禽類ではなく、なんとインコの仲間だとか。
なんとなく納得するような、クラウドのネーミングは最高かな、と思いながらもインディアンネームはレイヴン、を使っています。

椿大神社にて。

6月にNPOヒーラー&スタッフの皆さんで、鈴鹿の椿大神社を訪れたときの写真です。

……私の頭の上に乗っている、白い細長いものは……
何かしら(‘_’?)

十五夜の朝霧リトリートワークショップ。

今年の中秋の名月、十五夜は10月4日水曜日です。
実は秋の十五夜は必ずしも満月ではないのです。10月の満月は6日金曜日になりますので、今年の中秋の名月は実は十三夜の月、になります。
これは旧暦から十五夜、を割り出しているからなんですが、例え十三夜であっても、十四夜であっても、中秋の名月の日の聖なるエネルギーは非常につよいと言えます。
豊穣のエネルギーでもありますので、成就に関しても勉強に関しても、健康に関しても恩恵を得られるでしょう。

そんな貴重な秋の十五夜、今年は聖なる地、朝霧高原にてクローズドワークショップ。
NPOの認定ヒーラーさんたちと超体験型にて実施してきます。
上の写真は朝霧高原の田貫湖近く、統合医療のパイオニアでもある山本竜隆医学博士が主宰する日月倶楽部内の土地。
私と山本先生とで、土地の邪気を抜いています。

この写真は、やはり朝霧リトリート。
一般参加型オープン企画でのスピリチュアルワークショップにて撮れたものです。
真ん中に走る白い影はなんでしょうか。
どう説明したら良いのか、とても不思議なもの。

今回の十五夜朝霧リトリートワークショップ、
摩訶不思議ありましたら、皆様にもお知らせ申し上げます。
クローズド企画でごめんなさい、オープン企画、別地にて今後、ご提案して参ります。

カードの暗転。

タロットカードは、暗転する事があります。
この「暗転」、という言い方は私が設定したもの。

どんな状態のことかと申しましたら、
タロットカードがどのようにリーディングしても為す術が無いほど、ネガティブな結果がでてしまう現象。
そして、現実がそのように動いてしまう現象。

クライアントさまが(結果に不満足でイライラと)やり直して、と何回も何回もやり直しにする時に、生じやすいです。
私の望む結果が出ない。
それはリーダーの責任ではありません、当然ながら。
クライアントさんには、リーダーをメンタルサンドバッグにする権利まではありません。

読み直しを繰り返されているうちに、次第に現実がカードのネガティブな答えに引き寄せらるように、ネガティブに変わっていくことを「カードの暗転」と称しております。

これが始まると現実が想定外の動きになっていきます。
何故、そのようなことになるのか、私にもわかりません。

私が、
「カード暗転しそうなので、これ以上はリーディング出来ません、少なくとも今日は。」
と切り出した時は、とりあえずご納得くださいませ。

北海道の空。

私は生まれは横浜ですが、父が転勤族で全国津々浦々と回りまして今、実家は北海道夕張郡です。
学芸大学オフィス予約サイトで、虫食い状態に予約が入らない日があるのは、北海道の両親を訪れているからなんです。

北海道は本当に空が美しいです。
青の色が、内地とは違うんです。
北海道は過去形で現在進行形の会話をします。
「おばんでした。」は有名ですね。
節分の豆まきは落花生、赤飯は食紅で色をつけて甘納豆を散らす。
チョコロールパンだと思って良く見ると羊羮ロールパンだったり。これはかなり衝撃的。
デパートのエスカレーターでは、
「雨の日は靴が引っ付いて引っ込まれますのでご注意ください。」
とウグイス嬢の声がエンドレスでかかる。

でも何より、北海道は大地、空気に、風に、河に、山に。
粗削りのパワーがみなぎっています。
人の根源的な生きるための意識に、ダイレクトに働きかけるような原始的な共鳴。

特に、雲の動きを見るとき。
それを感じる事が出来ると思います。
冬場は灰色の雲が晴れないですから、紅葉も空も、今が見頃と思います。

「大人ですから。」

リーディングに関しましては、株価の動きや為替相場等はお断りしておりますが、多岐に渡るご質問内容でやはり、一番多いのは恋愛を含む人間関係になるかと思います。

「彼は私をどう思っているでしょうか。」
「はい、彼はお客様を大変信頼していて…」
「ああ、わかっているわ。わかっているからそれ以上は言わなくて良いわ。そうなのよ、とても深く信頼感しあっているの。だからもういいわ。」
「そうですか、それでは次のご質問内容は?」
「ちょっと待って。彼は私を大変信頼感し、私はそれを理解しているわ。そうじゃなくてね。私を女としてどう思っているか、それも知りたいのよ。」
「ああ、どうも異性としてはあまり興味なく友だちですね。」
「なんですって!ちょっと待ってよ、それでは某月某日に◎◎で△△したのは一体、何なのよ。ねえ。はっきりしてよ。」
「お客様、それは私にではなく、ご当人さまに直接的聞かれたほうが……」
「そんな事、直接聞けるわけがないじゃない。そんな空気読めない、場をわきまえないような事は、大人としていかがなものか、そんな云々かんぬん…」
「……」

確かに、近しければ近しいほど、本音を聞くのがはばかられたりするものです。
敢えて、感情的になりたくない。
平和にやっていきたい、だから聞きたいことも聞かず、言いたいことも言わない。だって
「大人ですから。」
なんとなく、水戸黄門の印籠的にオールマイティーに場を納めるような気分にはなります。
でも、大人的な見ざる聞かざる言わざるが果たして、成熟した人の智であるか、といったら私は疑問点に思います。
何故なら、
大人として見ざる言わざる聞かざるで平和に思いやりをもって相手の気持ちを常に察しながら私は彼に(彼女に、息子に、娘に、友だちに)接しているの。
という方のほうがどうも、ぶちギレやすいように思うからです。

また、こんな場合も。
「私は大人だから、彼には言いた事はなんでも言えるフェアな立ち位置を保ちたいの。」
確かにそれは大事な事ですよね、でも言いたい事はなんでも言いたい!のは素直ではありますが、子供の関係ですよね、ワガママとの線引きが出来ない。
言いたい事を言えない。というシチュエーションが人を大人にしていくのだから。

大人である、ということは多分、等身大の自分を客観的に把握しようと智恵の力をつけていく、その努力の過程を指すのではないかしら。
と、私的には思っています。知力と智力と魅力の進化形、それを「大人」として目標に出来ればと思っています。