夏休み

  1. 拝啓

三伏の候

花火と浴衣が似合う季節になりました。

特に、女性の浴衣姿にトキメク男性は、約80%と圧倒的な支持が有ります。

「浴衣着て一皮むけていい女」

日本人は、いつから浴衣を着るようになったのでしょうか?

由来を紐解くと、平安時代に遡ります。

平安時代に貴族が蒸し風呂や沐浴の為に着ていた衣「湯帷子(ゆかたびら)」が原型と言われます。

浴衣が庶民の間に広がるようになったのは江戸時代のこと。

江戸時代後期、銭湯が広がり、庶民もお風呂に手軽に入るようになったことから、湯上り着として浴衣も庶民へと広がって行きます。

そして、次第に、湯上り着から、ちょっとした外出着へと変化して、更には、盆踊りに、揃いの浴衣を着て出かける文化が流行するまでになります。

このように、下着姿で外出することがファッションになったきっかけの一つに、姫路の浴衣祭りがあります。

姫路浴衣祭りを始めたのは、江戸時代の大名、姫路藩第三代藩主榊原政岑(さかきばら まさみね)です。

このお殿様は、庶民派風流大名として有名な方です。

当時は、徳川吉宗、そうあの暴れん坊将軍の時代、幕府は財政難と不景気の為、質素倹約を奨励している中政岑は何処吹く風で、吉原で酒と女で派手に遊び三昧、挙げ句に、遊女を見受けして自宅にかこってみたりして、結局、幕府に盾突くのを疎まれて左遷、20代で隠居する羽目になります。

最後に、行ったのが、姫路城🏯の城内にあった武士だけの神社、長壁神社⛩の神事を庶民と一緒に行うことにし、皆んなが祭りに参加できるようにお触れを出したことです。

しかし、庶民はなかなか参加出来ません。奉行に尋ねたところ、庶民には当時のフォーマルである裃(かみしも)を用意することが出来ない為、皆んな困っているとの報告を受け、政岑風流大名は、誰もが持っている当時の下着である浴衣を着て参加することを指示、大名自ら浴衣姿で街に出ました。

今で言えば、「気兼ね無くパジャマパーティー🎉賑やかにやろうぜ」というところでしょうか。

不景気な中、庶民派風流大名の提案で武士も庶民も賑やかに盛り上がった浴衣祭りが、今に引き継がれています。

政岑の言葉

「いくら上に立つ者が倹約を叫んでも、その結果、幕府の金庫にお金が貯まるだけで民衆が苦しむ状況が続くなら、これは本当の倹約とは言えません。

私は、華美な生活をしているように見えますが、それによって世間にお金が回り、実は民の助けとなっているのです。

事実、町人には負担をかけず、農民の年貢も増やしていません。

民とともに世を楽しむ。こうした私のやり方こそ、本当の倹約と言えるのです。」

さすが、粋で風流!

その後、政岑は、29歳でこの世を去りますが、庶民に愛され、「浴衣祭り」が後世に引き継がれることになりました。

浴衣と夏祭りの意外なお話でした。

予告

8月17日 13:00〜(14:30)15:40

東京駅八重洲北口 ルノワール会議室

「鶴見明世の納涼茶話会&コンベンション」

鶴見先生のご厚意により、鶴見門下生である私他数名ののタロットリーダーがタロットリーディングをさせて頂きます。※詳細は、鶴見先生のブログ「シャーマンドクターな日々」参照

皆さまのご来場を心よりお待ちしております。

ご一読頂きありがとうございます。

敬具